第20代安康天皇

大長谷王子の皇位継承者である忍歯王殺し

安康天皇は、市辺之忍歯王(いちのべのおしはのみこ:履中天皇の御子)に皇位を譲りたいと考えていたそうです。

大長谷王子の陰謀

淡海(おうみ)の佐佐紀山君(ささきのやまのきみ)の祖の韓袋(からぶくろ)が大長谷王子(おおはつせのみこ)に、申し上げました。

「淡海の久多綿の蚊屋野(くたわたのかやの:所在未詳)には、多くの猪や鹿がおります。その立つ足は荻原(すすきの原)のようであり、その角は枯樹のようであります」

この時、大長谷王子は忍歯王を連れて淡海に向かっていました。到着すると、二人はそれぞれ別々の仮宮(かりのみや)を作って泊まりました。

翌朝、まだ日も出ていない時に、忍歯王は普段通り馬に乗り、そのまま大長谷王子の仮宮に来て、
「まだお目覚めにならないのか。早く申し上げよ。夜は既に明けました。狩り場に出かけましょう」
大長谷王子の家来にこう言うと、馬を進めて先に行ってしまいました。

大長谷王子、忍歯王を射殺す

大長谷王子の家来達は、
「無礼な物言いの忍歯王です。用心して下さい。またしっかりと武装した方がいいでしょう」
と、大長谷王子に申し上げました。

そこで大長谷王子は衣の中に鎧を着て、弓矢を携え、馬に乗り、たちまち忍歯王の馬に追いつきました。

すると、なんとしたことでしょうか。大長谷王子は矢を放って忍歯王を殺してしまいました。
また、その体を斬り、飼葉桶(かいばおけ)に入れて、地面と同じ高さに埋めてしまいました。忍歯王は御子として手厚く葬られることはなかったのです。

大長谷王子は、安康天皇崩御の後、こうして兄の黒日子王、白日子王、忍歯王など兄弟・従兄弟を次々に殺していきました。

身を隠した意祁王と袁祁王

そこで、忍歯王の王子の意祁王(おけのみこ、後の仁賢天皇)と袁祁王(おけのみこ、後の顕宗天皇)は、この事件で父が殺されたを聞いて逃げ去りました。

二人は山代(京都府南部)の苅羽井にたどりつくと、御粮(みかれい、米を干した携帯食)を食べていました。この時、目尻に入れ墨を入れた老人が来て、その御粮を奪いました。

「粮は惜しくはないが、お前はいったい誰だ?」
意祁王と袁祁王が問うと、
「私は、山代の猪甘(いかい:猪や豚を飼う部民)だ」
と、その老人は答えました。

そこで、二人は淀川の渡場の玖須婆(くすば:大阪府枚方市楠葉)で河を逃げ渡り、針間国(はりまのくに:播磨国、兵庫の南部)に着きました。そこの志自牟(しじむ)という名の家に入り、王子である自分達の身分を隠して、馬飼い・牛飼いとしてそこで働きました。

袁祁王は後の第23代顕宗天皇(けんぞうてんのう)となり、意祁王は後の第24代仁賢天皇(にんけんてんのう)となります。

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