第12代景行天皇と倭建命(ヤマトタケル)の熊曾西征

女装したヤマトタケル女装したヤマトタケル(ウィキペディアより)

大碓命と小碓命(倭建命 – ヤマトタケル)

景行天皇は、三野国(美濃国、岐阜県)に美しい姉妹がいるとお聞きになり、息子・大碓命(オオウスノミコト)に連れてくるように命じました。
しかし、大碓命はその姉妹と結婚し、別の二人の娘を天皇に差し出しました。天皇はそのことにお気づきになり、その二人の娘とは共に寝ることもせず、手を出すこともなさいませんでした。二人の娘は、とても悲しみました。

また、大碓命は、天皇との朝夕の食事(大御饌 – おおみけ)や行事に参加することもしませんでした。そこで、天皇は弟の小碓命(オウスノミコト)を呼んで
「どうして、兄は朝夕の食事に参加しないのか。お前が行って兄に教えさとしなさい」
と、命じられました。

末恐ろしい子供、小碓命

その後5日経っても、大碓命は食事や行事に参加しません。
天皇は、ふたたび小碓命を読んで、
「兄はいっこうに食事にも来ないが、お前は兄に何も言わなかったのか」
と、お尋ねしました。
「いえ、ちゃんと話しました」と、小碓命。
「では、どうして兄はまだ食事にも参加しないのか」
すると、小碓命は平然とこう答えたのです。
「朝、兄が厠に来た時ねじ伏せて、手足を切り、袋に入れて捨てました」

驚いたのは、天皇です。なぜなら、この時の小碓命はまだ子供だったのです。
『末恐ろしい奴だ。いつか自分に刃向かってくるかもしれない』と天皇はお考えになりました。そこで、こう命じられたのです。
「九州南部に、熊曾建(クマソタケル)が二人いる。彼らは恐ろしく野蛮で、我らに従わない。だから、お前が行って退治してこい」
ようは体のいいことを命じて、小碓命を遠ざけられたのです。

何も知らない小碓命は、叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)のもとに立ち寄りました。倭比売命が策を授けたのでしょうか。彼女は女の衣装も与えると、小碓命は剣を持ち勇んで旅立ちました。

小碓命(倭建命)は女装して、熊曾建二人を征伐

熊曾建の館の守りは万全で、周りを三重に兵士が囲んでいます。しかも、この時は館の新築の宴をしようと人々が忙しく準備しているようでした。
宴の当日、小碓命は髪を解き、倭比売命からいただいた女の服を着て、童女になりすましました。

二人の熊曾建はたいそう女装した小碓命を気に入り、二人の間に座らせました。宴たけなわになると、小碓命は剣を取り出し、まず兄の方を刺し殺しました。すぐさま、弟の方は逃げ出しました。が、小碓命も追いかけ背中をつかむと、尻に剣を突き刺しました。

「剣を動かさないでください。あなた様は、一体どなたさまですか」
弟の方は尋ねます。
「私は天皇の子。お前たちは、我々に従わない、また、礼もつくさない。そこで、天皇は私に征伐するよう命じられたのだ」
「まさにのそのとおりです。九州には我々の他には、名だたるものはおりません。しかし、大和国のあなた様は強いお方です。私が御名を差し上げましょう。これ以後は、倭建御子と称えましょう」
弟がそう言い終わると、小碓命は彼を切り刻んで殺してしまいました。

倭建命の出雲征伐

九州から大和に帰る途中には、出雲の国があります。
倭建命は、出雲建も退治しようと考えました。そして、出雲国に入ると、彼と仲良くなったのです。
そして、倭建命は樫の木の太刀を作ると、出雲建を斐伊川に沐浴に誘いました。沐浴から上がった倭建命は出雲建の太刀をとると言いました。
「太刀を交換して、太刀を合わせましょう」

当然、出雲建は太刀を抜こうとしましたが、樫の木の太刀なので抜けません。すかさず、倭建命は出雲建の太刀を抜いて、彼を殺してしまったのです。その後、こう詠みました。

やつめさす 出雲建が 佩ける太刀 黒葛多纏き(つづらさはまき) さ身無しにあわれ
(出雲建の太刀はつる草模様で立派だが、刀身がなくて気の毒だ)

倭建命は腕力だけでなく、悪知恵も備わっていたようです。こうなると、熊曾建征伐の前に、倭比売命が女装の策を授けたのか、子供の倭建命がもともと策を考えて、女の衣装を借りたのか、どちらだったかわかりません。

とにかく、倭建命は熊曾征伐と出雲征伐をし、大和に帰ってきたのです。

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