第14代仲哀天皇と神功皇后の新羅遠征

神功皇后の新羅に遠征(神功皇后、新羅に遠征)

第13代 成務天皇
第14代 仲哀天皇(倭健命の御子)
大后は息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと – 神功皇后
二人の御子が、品陀和気命(ほむたわけのみこと)

神功皇后、大神の信託を告げる

仲哀天皇が熊曾国(南九州)を攻めた時、武内宿禰(たけうちのすくね)は神の言葉を求めました。天皇は琴を弾き、大后の神功皇后(じんぐうこうごう)は神の言葉を自らの身体に宿して告げたのです。

「西の方に国がある。金銀財宝に満ちた国である。私が今、その国を征服させよう」

「高いところに登っても、大海ばかりでそれらしい国は見えない」
天皇はこう仰せになると、琴を弾くこともしませんでした。
すると、神は怒り告げました。
「この天下は、お前が治める国ではない。人の行くべきところ(死の世界)に向かえ」

神に怒りに、仲哀天皇の崩御

武内宿禰は、仲哀天皇に琴を弾くことをすすめ退きました。
天皇はしぶしぶ琴を弾くことにしましたが、しばらくして琴の音が止みました。天皇は神の怒りに触れ、崩御あそばれたのです。天皇の亡骸は仮の場所に安置され、国のお祓いをしました。
その後、武内宿禰はふたたび神の言葉を求めました。神の言葉は前と同じですが、こうも付け加えられました。

「この国は、大后の腹にいる御子が治めるべきである」

武内宿禰は神が宿っている大后に問われました。
「畏れおおいことですが、大神の腹にいる御子はどちらの性別でしょうか」
「男子である」
「このようにお教えくださる大神の御名をお教えください」
「これは天照大御神の御心である。我は底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神の三柱である」

底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神の三柱を、住吉大社の大神です。

神功皇后の新羅に遠征

住吉大社の大神は、遠征に先立って行なう諸々のことも告げられました。こうして、新羅への遠征が決まりました。
いざ船を出すと順風に恵まれ、たちまち新羅の国に達しました。勢いは止まらず、新羅さらに百済まで征服してしまったのです。新羅の国王は、神功皇后にこう申し上げました。
「これからは天皇のお言葉に従い、自ら御馬甘(みまかい – 馬飼い)として貢物を船で運び、永遠にお仕え奉ります」

新羅遠征から帰ると、神功皇后は筑紫の国で御子・品陀和気命(ほむだわけのみこと)をお生みになりました。この御子が第15代応神天皇です。

神功皇后と武内宿禰の魚釣り(神功皇后と武内宿禰)

4月上旬、神功皇后は筑紫の国の玉島川(佐賀県唐津市)のほとりに着くと、服の糸を抜き取り、飯粒を餌にして年魚(あゆ)をお釣りになりました。今も、女性が同じように魚を釣っています。

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