第19代允恭天皇2 太子の島流しと禁断の愛の末路

軽太子の伊予湯への島流し

軽太子(かるのひつぎのみこ)は伊予湯(いよのゆ:愛媛県松山市の道後温泉)に島流しにされました。

その時、歌を詠みました。

天飛(あまと)ぶ 鳥も使ひそ 鶴(たづ)が音の 聞こえむ時は わが名問(なと)はさね

(空を飛ぶ鳥も使いの鳥だ。鶴の声が聞こえる時は、私の名を尋ねてほしい)

また、続けて歌を詠みました。

王(おおきみ)を 島に放(はぶ)らば 船余(ふなあま)り い帰(がへ)り来むぞ 我が畳(たたみ)ゆめ 言(こと)をこそ 畳と言(い)はめ 我が妻はゆめ

(私を島に追放したとしても、帰ってくるぞ。私の座敷はそのままにしておけ。言葉でこそは「座敷」と言ったが、我が妻がそのままいてくれ)

禁断の愛の末路は?

軽大郎女(かるのおおいらつめ)は軽太子(かるのひつぎのみこ)を想い、歌を献りました。

夏草の あひねの浜の 蠣貝(かきかひ)に 足踏ますな あかしてとほれ
(夏の草が萎(な)える、あひねの浜の牡蠣の貝殻に足を踏まないように、夜の明けるのを待って行きなさい)

また、後になって、軽大郎女は恋い慕う気持ちをおさえきれず、軽太子を追いかけてて、歌を詠みました。

君が往(ゆ)き 日長(けなが)くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ
(あなたが行かれて、長い月日が経ちました。だから、迎えに行きます。もう待ってはいられません)

そして、追いついた時に、軽太子は軽大郎女を抱き寄せて歌を詠みました。

隠(こも)り国(く)の 泊瀬(はつせ)の山の 大峡(おほを)には 幡(はた)張り立て さ小峡(をを)には 幡張り立て 大小(おほを)よし 仲定める 思ひ妻 あはれ 槻弓(つくゆみ)の 臥(こ)やる臥やりも 梓弓(あづさゆみ) 起(た)てり起てりも 後(のち)も取り見る 思ひ妻 あはれ
(泊瀬の山の高い峰に幡(旗)を張り立て、低い峰にも幡(旗)を張り立て、私との仲を定めた愛しい妻よ、伏していても、起きていても私が面倒を見よう、愛しい妻よ)

また、続けて歌を詠みました。

隠(こも)り国(く)の 泊瀬(はつせ)の河の 上つ瀬に 斎杙(いくひ)を打ち 下つ瀬に 真杙(まくひ)を打ち 斎杙には 鏡を懸(かけ)け 真杙には 真玉(またま)を懸け 真玉如(な)す 吾(あ)が思ふ妹(いも) 鏡なす 吾が思ふ妻 ありと言はばこそよ 家にも行かめ 国をも偲(しの)はめ
(泊瀬の川の上流の瀬には清らかな杙を打ち、下流の瀬には正統な杙を打ち、清らかな杙には鏡を懸け、正統な杙には美しい玉を懸ける。その玉のように私が愛しく思う妹よ、鏡のように私が愛しく思う妻よ、あなたがいるというならばこそ、家にも行くし、故郷をも偲ぶだろうが、おまえがここにいるのだから、そうすることはない)

このように歌い、二人は心中してしまったのです。

スポンサーリンク
336-280




336-280




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
336-280