第22代清寧天皇(せいねい)と二人の少年(皇子)の舞

第22代清寧天皇

第22代清寧天皇の即位と崩御後、一時飯豊王が女帝に。

雄略天皇の御子の白髪大倭根子命(しらかのおおやまとねこのみこと:白髪命)は、伊波礼(いわれ:奈良県内)の甕栗宮(みかくりのみや:所在未詳)にて、天下をお治めました。第22代清寧天皇(せいねいてんおう)です。
御名代(みなしろ:朝廷に仕える大王直属の部民)に白髪部(しらかべ)を定めました。

この天皇(すめらみこと)には皇后はなく、また御子もおりませんでした。
だから、天皇が崩御した後に、天下をお治めるべき王(みこ)がいなかったのです。

二人の少年(皇子)の舞、弟が素性を明かす

そこで、皇位を受け継ぐ王(みこ)を探すと、葛城の忍海(おしぬみ)の高木角刺宮(たかきのつのさしのみや:所在未詳)に市辺忍歯別王(いちのへのおしはわけのみこ・市辺之忍歯王)の妹の忍海郎女(おしぬみのいらつめ)、またの名を飯豊王(いいどよのみこ)が、皇位を継ぐことになりました。

ところで、山部連小楯(やまべのむらじおだて)が、針間国(はりまくに:播磨国、兵庫南部)の長官に任命された時、小楯はその国の人民の志自牟(しじむ)の新築祝いの宴会を訪れました。
宴もたけなわになってくると、順番に皆で舞を舞うことになりました。この時、火焚き役の少年が二人、竈(かまど)のそばにいたところ、その少年たちにも舞わせました。

すると、一人の少年が、
「兄上が先に舞ってください」
と言うと、兄もまた、
「お前が、先に舞いなさい」
と言い、互いに譲り合いました。集まっていた人達は、その譲り合う様子をみて笑いました。
そして、やっと兄が舞い終え、次に弟が舞おうとしたところ、弟が素性を明かす歌を詠みました。

物部(もののふ)の 我が夫子(せこ)が 取り佩(は)ける 大刀の手上(たかみ)に 丹書(にか)き著(つ)け 其の緒(を)には 赤幡(あかはた)を載せ 赤幡を立てて 見れば い隠(かく)る 山の三尾(みを)の 竹をかき苅(か)り 末押(すゑお)し縻(なび)かすなす 八絃(やつを)の琴を調ぶる如く 天の下治めたまひし 伊邪本和気(いざほわけ)の天皇(すめらみこ)の御子 市辺(いちのへ)の押歯王(おしはのみこ)の 奴末(やっこすゑ)

武人の我が兄上が佩いている太刀の柄に、赤い色を塗りつけ、その紐には赤い布をつけ、赤い旗を立てると、幾重にも重なって見えない山の峰の竹を刈り、その竹の先をなびかせるように、八弦の琴を奏でるように、天下をお治めになった伊邪本和気天皇(履中天皇)の、御子の市辺之押歯王(いちのへのおしはのみこ)の、今は奴になっている、その子が私である。

生きていた意祁命と袁祁命

その歌を聞いた小楯連(おだてのむらじ)は驚き、座席から転げ落ち、その家にいた者達を追い出し、その二人の御子、意祁命(おけのみこと)と袁祁命(おけのみこと)を両膝の上に座らせ、泣き悲しみ、生きていたことを喜び、人々を集め仮宮を作り二人を連れて行き、早馬の使いを走らせそのことを報告させました。

すると、叔母の飯豊王(女帝?)はそれを聞いて喜び、二人を角刺宮(つのさしのみや)へと迎えました。

古事記・下つ巻
スポンサーリンク
kojikiをフォローする
1話5分で読める古事記

コメント